2016年09月15日
というわけで泣く泣く食べる事をあきらめました
なぜこんな物が売っているかと言うと、こっちでは主にカクテル用に使われるみたいなんです。日本人みたいにお茶受けや箸休め、カレーライスの脇に添える訳じゃないのです。
安いし美味しいし、よく買って食べていました。でも、最近急にスーパーの棚から消えてしまったのです。 他にも似たような物があったので買ってみましたが、一口頬張っただけで顔が変形するほど酸っぱい。 砂糖を大量に投入してみましたが、味がしっかり沁みこんでしまっているので修正は無理。
ところが!それは4日前の事。Trader Joe’s で買物をしていたら、冷凍食品コーナーから「そこの美しい奥さん、こっちこっち。ちょっとこっち来て~」という声が聞こえたのです。
不思議です。「買うべきもの」がある時って、
商品に呼ばれるのです。で、呼ばれた先を見ると、ビー玉サイズの白い物体が袋詰めになった商品。手に取ってよく見ると「Pearl Onions」と書いてある。1ポンドでたったの1.6ドル。安い!
(;゚□゚)ガーン! (嬉しいガーンです)。 ら、ラッキョウだあああ! 感激のあまり、体がプルプルと震えました。(前回使ったフレーズをリサイクルしました!何でもリサイクルの世の中よ
ん)
さっそく購入して甘酢漬けに。フィオーナに「NHKのためしてがってんのサイトに行くとDSC07583 (587x800)
、いろんな事がわかるよ」と言われて早速覗きに行きました。そこには「けとばし漬け」なるレシピが! 早速醤油、生姜、ゴマ油、鷹の爪などをさらに追加。
漬けてから3日目の今日。 美味しい~♪ 今まで買ってたカクテル用瓶詰の何倍も美味しい。ちょっと鼻についたゴマ油の匂いも殆ど消えてたし、中心部までちゃんと味が沁みている!
トレジョよ!ありがとう。
実は最近トレジョにはちょっとがっかりしてたところ。日本人に人気の、あの素敵な麻製のエコバッグの製造をやめちゃったから。「欲しかったらe-bayで買ってください」…などと言われてしまったの。でも、このパールオニオンのお蔭で許す気になりました。
ところで、Trader Joe’s が近くに無い方。多分普通のスーパーのKosher用の冷凍食品コーナーにあると思います。探してみてくださいね。
付け足し:パールオニオンはマッシュルームと一緒にソテーして、ステーキなどの付け合わせにしても、とってもお洒落で可愛いです♪
安いし美味しいし、よく買って食べていました。でも、最近急にスーパーの棚から消えてしまったのです。 他にも似たような物があったので買ってみましたが、一口頬張っただけで顔が変形するほど酸っぱい。 砂糖を大量に投入してみましたが、味がしっかり沁みこんでしまっているので修正は無理。
ところが!それは4日前の事。Trader Joe’s で買物をしていたら、冷凍食品コーナーから「そこの美しい奥さん、こっちこっち。ちょっとこっち来て~」という声が聞こえたのです。
不思議です。「買うべきもの」がある時って、
商品に呼ばれるのです。で、呼ばれた先を見ると、ビー玉サイズの白い物体が袋詰めになった商品。手に取ってよく見ると「Pearl Onions」と書いてある。1ポンドでたったの1.6ドル。安い!
(;゚□゚)ガーン! (嬉しいガーンです)。 ら、ラッキョウだあああ! 感激のあまり、体がプルプルと震えました。(前回使ったフレーズをリサイクルしました!何でもリサイクルの世の中よ
ん)
さっそく購入して甘酢漬けに。フィオーナに「NHKのためしてがってんのサイトに行くとDSC07583 (587x800)
、いろんな事がわかるよ」と言われて早速覗きに行きました。そこには「けとばし漬け」なるレシピが! 早速醤油、生姜、ゴマ油、鷹の爪などをさらに追加。
漬けてから3日目の今日。 美味しい~♪ 今まで買ってたカクテル用瓶詰の何倍も美味しい。ちょっと鼻についたゴマ油の匂いも殆ど消えてたし、中心部までちゃんと味が沁みている!
トレジョよ!ありがとう。
実は最近トレジョにはちょっとがっかりしてたところ。日本人に人気の、あの素敵な麻製のエコバッグの製造をやめちゃったから。「欲しかったらe-bayで買ってください」…などと言われてしまったの。でも、このパールオニオンのお蔭で許す気になりました。
ところで、Trader Joe’s が近くに無い方。多分普通のスーパーのKosher用の冷凍食品コーナーにあると思います。探してみてくださいね。
付け足し:パールオニオンはマッシュルームと一緒にソテーして、ステーキなどの付け合わせにしても、とってもお洒落で可愛いです♪
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11:44
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2016年08月31日
1週間だけなんだそうだ
まあ世の中、このように短いチャンスしかないというものはたくさんあって、杏(アンズ)の果実が出回るのも7月初旬。
天が我に味方してくれたのかどうかはわからないが、たまたまよく行く八百屋で杏を見つけた。東京近辺では長野県が杏の産地だそうで、早速JAちくまの杏を買って帰った。もちろんジャムにするためである。
杏はヒマラヤ西部から中央アジアにかけてが原産だそうだ。バラ科サクラ属で品種もいろいろあるらしいが、食用としてはジャムが一般的である。
試しに生で食べてみたが、酸っぱくてぼそぼそしていてそれほど旨くない。ジャムにすると旨さが引き立つ果実なわけだ。
種は杏仁(キョウニン)と呼ばれ、咳止めなどの漢方薬になるそうだが、堅くて割れない。ジャムを作る前に無理して怪我でもしたらバカみたいなので、割るのは諦めた。
杏仁といえば中華デザートの杏仁豆腐(アンニンドウフ)を思い浮かべるが、杏をアンと読むのは唐音、キョウは呉音。
漢方薬には苦味のある苦杏仁(クキョウニン)、杏仁豆腐には甘みのある甜杏仁(テンキョウニン)を使うそうだが、これらが杏の品種の違いかどうかは知らない。
杏仁豆腐は本来はこの甜杏仁を使うが、普及品には香りの似ているアーモンドエッセンスが使われる。
1207anzu1.jpg さて杏ジャムだが、実は1週間に2回作ってみた。
杏は種も取りやすく街貨、煮るだけなのでジャム作りとしては比較的簡単である。市販ジャムもあるが、やはり手作りの方が酸味があって果物本来の味がして美味しい。
1回目に弱火で煮たところ、煮崩れた上に水分が残った。杏は水分が多い。
それで2回目は中火~弱火で煮て形を崩さないようにして水分を飛ばしたのだが、ちょっと目を離している間に煮詰めすぎてしまった。
写真を見ればわかるように、色の薄いのが1回目、濃いのが2回目である。
個人的には1回目卓悅冒牌貨方が香りがあって美味しいが、子どもは酸味が足りなく、むしろ煮詰まった2回目の方が酸味があって良いという。
そういえば、2回目に作った杏ジャムは、神社の縁日に並ぶ夜店の杏ジャムのように味が濃厚。もちろん手作りの方は添加物・着色料なしである。
好みは人それぞれだが、次回晚霜のは1回目と2回目の中間くらいで作りたいと思うのだが、チャンスは短く、再チャレンジは来年ということになる。
天が我に味方してくれたのかどうかはわからないが、たまたまよく行く八百屋で杏を見つけた。東京近辺では長野県が杏の産地だそうで、早速JAちくまの杏を買って帰った。もちろんジャムにするためである。
杏はヒマラヤ西部から中央アジアにかけてが原産だそうだ。バラ科サクラ属で品種もいろいろあるらしいが、食用としてはジャムが一般的である。
試しに生で食べてみたが、酸っぱくてぼそぼそしていてそれほど旨くない。ジャムにすると旨さが引き立つ果実なわけだ。
種は杏仁(キョウニン)と呼ばれ、咳止めなどの漢方薬になるそうだが、堅くて割れない。ジャムを作る前に無理して怪我でもしたらバカみたいなので、割るのは諦めた。
杏仁といえば中華デザートの杏仁豆腐(アンニンドウフ)を思い浮かべるが、杏をアンと読むのは唐音、キョウは呉音。
漢方薬には苦味のある苦杏仁(クキョウニン)、杏仁豆腐には甘みのある甜杏仁(テンキョウニン)を使うそうだが、これらが杏の品種の違いかどうかは知らない。
杏仁豆腐は本来はこの甜杏仁を使うが、普及品には香りの似ているアーモンドエッセンスが使われる。
1207anzu1.jpg さて杏ジャムだが、実は1週間に2回作ってみた。
杏は種も取りやすく街貨、煮るだけなのでジャム作りとしては比較的簡単である。市販ジャムもあるが、やはり手作りの方が酸味があって果物本来の味がして美味しい。
1回目に弱火で煮たところ、煮崩れた上に水分が残った。杏は水分が多い。
それで2回目は中火~弱火で煮て形を崩さないようにして水分を飛ばしたのだが、ちょっと目を離している間に煮詰めすぎてしまった。
写真を見ればわかるように、色の薄いのが1回目、濃いのが2回目である。
個人的には1回目卓悅冒牌貨方が香りがあって美味しいが、子どもは酸味が足りなく、むしろ煮詰まった2回目の方が酸味があって良いという。
そういえば、2回目に作った杏ジャムは、神社の縁日に並ぶ夜店の杏ジャムのように味が濃厚。もちろん手作りの方は添加物・着色料なしである。
好みは人それぞれだが、次回晚霜のは1回目と2回目の中間くらいで作りたいと思うのだが、チャンスは短く、再チャレンジは来年ということになる。
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11:35
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2016年08月20日
書いておかなければ忘れそうだ
しっかり細かい描写のある、鮮明な夢。
にもかかわらず、なにが言いたかったのだろう、あの夢。
幼児がいた。
面長、色白、おとな美麗華投訴しい賢そうな男の子。(わたしの孫とは顔のタイプが全然違う)
彼の自宅。部屋の中に案内された。
明るい清潔な、白っぽいカラーの、きちんとした部屋。
ご両親は、働いていて留守。
彼はいろいろ見せてくれる。
いま、やっているお勉強のようなもの。幼児知育のプログラム。
へえ~。ご両親、とりわけ、お母さんは教育熱心なのね、と、その時のわたしの感想。
「ママは、こんなこともしてるんだよ」
みたいに、あれこれ、家族の生活様式や、思考ポリシーや嗜好が垣間見えるものを次々と見せてくれる。
あらあら、そんなに見せてくれたら、プライバシー侵害って、ママは怒るかも知れないなあ、と、
わたしは思いながらも、ふむふむ、けっこうしっかり暮らしておられると感心した。
じつは、ここに引っ越してくるのに、別の候補の家があったんだけど、そっちはやめて、この家にしたんだ。
そういう流れもわかった。
途中、バスに乗って移動しているシーンもあった。
向こうより今、選んだ住まいのほうが、きめ細かい教育の取り組みが提供されるのが気に入ったようだ。
教育システムが整っている環境。
他の部屋もあれこれ案内してくれる男の子。
あらまあ、外から見えるだけでは想像もつかないぐらい、随所に工夫を凝らされた素晴らしいお宅。
進んでいけば、どんどん広い空間が続く。
開口部に広がる、目に飛び込むグリーンも美々しい。
そこで、なにかの人の助美麗華投訴けが必要なことがあり、わたしは応援を呼んだ。
応援してくれる人(わたしの身内、関係者たち)の尽力もあり、無事クリアー。
が、家の中をあちこち開けたり触ったりした形跡のまま、ママが帰宅することになった。
助けてあげた状態になっているものの、人の家をほじくって、ママは嫌がるだろうなあ。
助ける時は精いっぱいだったので考えなかったが、そういう懸念を抱いた。
助けてあげるにあたって、自分の纏っているものを1枚1枚はがしていくかのように、
1ページ1ページ、過去のページをめくっていった。
表には最終ページが一枚見えるだけだが、中には、いろんなページが繰り広げられ重なっていた。
意外に、その男の子の家よりも、奥が深い自分の歩んできた家。
そこにはいろんな人物が登場し、力を発揮していた。
人の役に立とうとして、予想しない展開から自分のことに触れることになり、感慨深げだった。
が、そこに、ママが帰ってきた。
いくら小さな子供のためといっても、人のプライバシーをほじくるようなことはやめてください、
そう言われるだろうと、こころ準備していた。
ほじくろうとしてそうなったのではなく、結果的にそうなっただけだ。
しかも、プライバシーを深く確認したのは、自分側の事柄である。
気が付くと、男の子のそばに、もう一人、1歳ぐらいの乳幼児が寝息を立てて寝ていた。
あれ?一人じゃなかったの美麗華領隊?と今さらながら、遅いかと思いつつも、そっとタオルケットをかけた
にもかかわらず、なにが言いたかったのだろう、あの夢。
幼児がいた。
面長、色白、おとな美麗華投訴しい賢そうな男の子。(わたしの孫とは顔のタイプが全然違う)
彼の自宅。部屋の中に案内された。
明るい清潔な、白っぽいカラーの、きちんとした部屋。
ご両親は、働いていて留守。
彼はいろいろ見せてくれる。
いま、やっているお勉強のようなもの。幼児知育のプログラム。
へえ~。ご両親、とりわけ、お母さんは教育熱心なのね、と、その時のわたしの感想。
「ママは、こんなこともしてるんだよ」
みたいに、あれこれ、家族の生活様式や、思考ポリシーや嗜好が垣間見えるものを次々と見せてくれる。
あらあら、そんなに見せてくれたら、プライバシー侵害って、ママは怒るかも知れないなあ、と、
わたしは思いながらも、ふむふむ、けっこうしっかり暮らしておられると感心した。
じつは、ここに引っ越してくるのに、別の候補の家があったんだけど、そっちはやめて、この家にしたんだ。
そういう流れもわかった。
途中、バスに乗って移動しているシーンもあった。
向こうより今、選んだ住まいのほうが、きめ細かい教育の取り組みが提供されるのが気に入ったようだ。
教育システムが整っている環境。
他の部屋もあれこれ案内してくれる男の子。
あらまあ、外から見えるだけでは想像もつかないぐらい、随所に工夫を凝らされた素晴らしいお宅。
進んでいけば、どんどん広い空間が続く。
開口部に広がる、目に飛び込むグリーンも美々しい。
そこで、なにかの人の助美麗華投訴けが必要なことがあり、わたしは応援を呼んだ。
応援してくれる人(わたしの身内、関係者たち)の尽力もあり、無事クリアー。
が、家の中をあちこち開けたり触ったりした形跡のまま、ママが帰宅することになった。
助けてあげた状態になっているものの、人の家をほじくって、ママは嫌がるだろうなあ。
助ける時は精いっぱいだったので考えなかったが、そういう懸念を抱いた。
助けてあげるにあたって、自分の纏っているものを1枚1枚はがしていくかのように、
1ページ1ページ、過去のページをめくっていった。
表には最終ページが一枚見えるだけだが、中には、いろんなページが繰り広げられ重なっていた。
意外に、その男の子の家よりも、奥が深い自分の歩んできた家。
そこにはいろんな人物が登場し、力を発揮していた。
人の役に立とうとして、予想しない展開から自分のことに触れることになり、感慨深げだった。
が、そこに、ママが帰ってきた。
いくら小さな子供のためといっても、人のプライバシーをほじくるようなことはやめてください、
そう言われるだろうと、こころ準備していた。
ほじくろうとしてそうなったのではなく、結果的にそうなっただけだ。
しかも、プライバシーを深く確認したのは、自分側の事柄である。
気が付くと、男の子のそばに、もう一人、1歳ぐらいの乳幼児が寝息を立てて寝ていた。
あれ?一人じゃなかったの美麗華領隊?と今さらながら、遅いかと思いつつも、そっとタオルケットをかけた
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03:12
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2016年08月05日
想像上の事柄などを現実に行う
つまり、晴海通りを両側から潜るようになっている地下道で、しかも地下道の両側には映画館や飲み屋などの飲食店が並んでいる。
この地下道は三原橋地下街と呼ばれていて、昭和27年に作られた銀座で最古の地下商店街。銀座シネパトスはこの地下街にある映画館で、現在はシネパトス1~3まで3館ある。
銀座シネパトスで映画を見ることはほとんどなかったが、ロバート・デ・ニーロ主演の『ザ・ファン』(1996)を確かここで観た。
熱狂的な大リーグファンが主人公の話で、ファンはfan、つまり熱狂的支持者のこと。ロバート・デ・ニーロ演ずる主人公は、かなり度を越したサンフランシスコ・ジャイアンツのファンで、贔屓の引き倒しを地で行く。
さて、いきなり慣用句を二つも使ってしまった。
贔屓の引き倒し・・・ひいきし過ぎて、かえってその人の迷惑になること。
地で行く・・・①飾らずにありのまま振る舞う。
ここでは、後者の用法。
カリフォルニアの街やハイウェイ、海岸、ラジオ局、そして音楽にも西海岸の陽気な雰囲気が充満し、主人公も野球帽を被った陽気な男掉頭髮原因だが、この街の過ぎた陽気がいけないのか、脳味噌まで炎天にやられてしまっている。
冒頭からすでにオーバーヒート気味の主人公は、仕事やプライベートのストレスによって、沸騰してしまう。つまり脳味噌がイッちゃうのだが、どんどんイッちゃう。際限なくイッちゃう。そのイッちゃう主人公をデ・ニーロが好演というか怪演していて、それだけでも見ごたえがあった。
銀座シネパトスでこの映画を見た時、ちょっとした違和感があった。
というのは、私がまだ若かった頃、この映画館は確かピンク映画の上映館だったからだ。
銀座シネパトスのホームページを見ると、昭和27年に三原橋地下街ができた当初、ニュース映画専門館テアトルニュースがまず開館し、遅れて2年後の昭和29年に銀座東映がオープンしたそうだ。
昭和42年になるとテアトルニュースは銀座地球座に、翌43年には銀座東映が銀座名画座に衣替えし、洋画と邦画のピンク映画を上映するようになる。
若い頃、週末に銀座・新橋あたりで終電を逃した時に、この映画館を利用した。
当時、銀座のロードショー館がオールナイト上映をすることはなく、この2館くらいしかなかった。他に24時間営業の店は今のイトシアの一画にあった純喫茶マイアミくらいで、深夜割増料金を取ったので、暗くて椅子のゆったりしている映画館の方がむしろ安上がりで寝易かった。
しかし、問題があった。上映されているのはピンク映画である。
目を閉じれば暗闇は訪引伸波幅れるが、スクリーンから聴こえてくる声は遮断できない・・・
この地下道は三原橋地下街と呼ばれていて、昭和27年に作られた銀座で最古の地下商店街。銀座シネパトスはこの地下街にある映画館で、現在はシネパトス1~3まで3館ある。
銀座シネパトスで映画を見ることはほとんどなかったが、ロバート・デ・ニーロ主演の『ザ・ファン』(1996)を確かここで観た。
熱狂的な大リーグファンが主人公の話で、ファンはfan、つまり熱狂的支持者のこと。ロバート・デ・ニーロ演ずる主人公は、かなり度を越したサンフランシスコ・ジャイアンツのファンで、贔屓の引き倒しを地で行く。
さて、いきなり慣用句を二つも使ってしまった。
贔屓の引き倒し・・・ひいきし過ぎて、かえってその人の迷惑になること。
地で行く・・・①飾らずにありのまま振る舞う。
ここでは、後者の用法。
カリフォルニアの街やハイウェイ、海岸、ラジオ局、そして音楽にも西海岸の陽気な雰囲気が充満し、主人公も野球帽を被った陽気な男掉頭髮原因だが、この街の過ぎた陽気がいけないのか、脳味噌まで炎天にやられてしまっている。
冒頭からすでにオーバーヒート気味の主人公は、仕事やプライベートのストレスによって、沸騰してしまう。つまり脳味噌がイッちゃうのだが、どんどんイッちゃう。際限なくイッちゃう。そのイッちゃう主人公をデ・ニーロが好演というか怪演していて、それだけでも見ごたえがあった。
銀座シネパトスでこの映画を見た時、ちょっとした違和感があった。
というのは、私がまだ若かった頃、この映画館は確かピンク映画の上映館だったからだ。
銀座シネパトスのホームページを見ると、昭和27年に三原橋地下街ができた当初、ニュース映画専門館テアトルニュースがまず開館し、遅れて2年後の昭和29年に銀座東映がオープンしたそうだ。
昭和42年になるとテアトルニュースは銀座地球座に、翌43年には銀座東映が銀座名画座に衣替えし、洋画と邦画のピンク映画を上映するようになる。
若い頃、週末に銀座・新橋あたりで終電を逃した時に、この映画館を利用した。
当時、銀座のロードショー館がオールナイト上映をすることはなく、この2館くらいしかなかった。他に24時間営業の店は今のイトシアの一画にあった純喫茶マイアミくらいで、深夜割増料金を取ったので、暗くて椅子のゆったりしている映画館の方がむしろ安上がりで寝易かった。
しかし、問題があった。上映されているのはピンク映画である。
目を閉じれば暗闇は訪引伸波幅れるが、スクリーンから聴こえてくる声は遮断できない・・・
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16:37
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2016年07月26日
記憶が正しければ
最後によみうりホールを訪れたのは、20年以上前だったような気がする。有楽町そごうが2000年に閉店となり、ビックカメラになってからは一度も訪れていないし、今もよみうりホールがあることすら知らなかった。
よみうりホールには何度か產後脫髮来た記憶があって、もともとは1957年に開館した多目的ホールなので、映画ばかりではなく、演劇やコンサートも観たり聴いたりしたように思うのだがよく思い出せない。
山本薩夫監督の「ベトナム」(1969)を観たのも、よみうりホールではなかったかと思う。
山本薩夫監督は「忍びの者」「氷点」「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環触」「不毛地帯」「あゝ野麦峠」等々、社会派の映画で知られる巨匠で、「ベトナム」は北爆下の北ベトナムでロケを敢行した記録映画だった。
このことは07/11/19「東京物語─Old Town, Tokyoと有楽町の戦後」に書いたことがある。
今はシネコンの時代となってスクリーン数も増え、地味な映画でも単館上映されるようになったが、当時の映画館は大手の配給会社の系列下にあり、独立系の映画は旧日劇にあった日劇文化や新宿文化を除けば、よみうりホールのような多目的ホール以外に上映する場所がなかった。
ATGと略称された日本アートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田升降桌正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の認識しかない。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこともできない。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私升降桌たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。
よみうりホールには何度か產後脫髮来た記憶があって、もともとは1957年に開館した多目的ホールなので、映画ばかりではなく、演劇やコンサートも観たり聴いたりしたように思うのだがよく思い出せない。
山本薩夫監督の「ベトナム」(1969)を観たのも、よみうりホールではなかったかと思う。
山本薩夫監督は「忍びの者」「氷点」「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環触」「不毛地帯」「あゝ野麦峠」等々、社会派の映画で知られる巨匠で、「ベトナム」は北爆下の北ベトナムでロケを敢行した記録映画だった。
このことは07/11/19「東京物語─Old Town, Tokyoと有楽町の戦後」に書いたことがある。
今はシネコンの時代となってスクリーン数も増え、地味な映画でも単館上映されるようになったが、当時の映画館は大手の配給会社の系列下にあり、独立系の映画は旧日劇にあった日劇文化や新宿文化を除けば、よみうりホールのような多目的ホール以外に上映する場所がなかった。
ATGと略称された日本アートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田升降桌正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の認識しかない。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこともできない。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私升降桌たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。
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17:28
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2016年07月15日
漢字で老頭児と書く
党名は、『太陽の季節』を書いた頃の若き情熱を呼び戻そうということなのかと推察したのだが・・・
なにしろ母体となったのが「たそがれ日本」と揶揄されるロートル集団の「たちあがれ日本」である。80歳の石原さんが入っても、太陽は太陽でも黄昏時の夕日だろう、太宰治の『斜陽』が相応しいのではないかと思った。
因みにロートルは死語かもしれない。老人、年寄りのことで、。
北極圏に近いアイスランドでは、冬至の頃には昼前に日が昇って15時半には沈んでしまう。昇ったばかりの太陽の党も、北欧の太陽のようにすぐに沈むのを待つばかりかと思ったが、維新の会と合流する道を選んだ。もっとも太陽という党名はすぐに沈んでしまった。
太陽信仰は人類の歴史でも一般的で、日本は天照大神、エジプト、ギリシャ、インカ、マヤも太陽信仰である。
エジプトでは太陽神ラーの太陽の船が天空を運行し、ギリシャではヘリオスが太陽の馬車で空を駆ける。ヘリオスにはパエトンという息子がいて、父の馬車を暴走させてしまったためにゼウスの怒りを買って墜死させられてしまうという話がある。
ギリシャ神話にはイカロスの翼の話もあって、名匠ダルタロスは人工の翼を作って息子のイカロスとともにミノスの牢獄から脱出する。ところが高く飛び過ぎたイカロスは、太陽にその翼を蝋を融かされ墜死してしまう。
人間は古来、生命の源である太陽を信仰してきたが、日照りをもたらす太陽は同時に災厄をもたらすものでもあった。だから、何でも太陽という名前をつければよいと考えるのは思慮が浅い。
宮沢賢治の『よたかの星』ではDR REBORN黑店、嫌われ者の夜鷹が焼け死んでもいいからと太陽に救いを求める。しかし、星に願いを懸けろと言われ飛び続けた夜鷹は死んで星となる。この時すでに、いじめ問題はあったわけである。
黄昏時の夕日、斜陽の太陽にそれほどの力はなかったのだろう。維新の会に合流して名を消す。北欧の太陽のように、あっという間に没してしまった。
いや北極圏のように太陽は昇らなかったということか。北極圏は北緯66度33分以北で、年に最低1日、太陽の昇らない日がある。
それにしても面白いのは、橋下さんらは当然幕末の志士を気取って日本維新の会を結成したわけだが、太陽族ならぬ斜陽族の石原さんは、「橋下さんは源義経で自分は弁慶になる」と言って、橋下さんとは700年くらいも時代がずれている。
しかも義経は追われて奥州に逃れて弁慶HKUE 認可性とともに果てるわけだが、やはり結末は悲劇ということなのだろうか。
なにしろ母体となったのが「たそがれ日本」と揶揄されるロートル集団の「たちあがれ日本」である。80歳の石原さんが入っても、太陽は太陽でも黄昏時の夕日だろう、太宰治の『斜陽』が相応しいのではないかと思った。
因みにロートルは死語かもしれない。老人、年寄りのことで、。
北極圏に近いアイスランドでは、冬至の頃には昼前に日が昇って15時半には沈んでしまう。昇ったばかりの太陽の党も、北欧の太陽のようにすぐに沈むのを待つばかりかと思ったが、維新の会と合流する道を選んだ。もっとも太陽という党名はすぐに沈んでしまった。
太陽信仰は人類の歴史でも一般的で、日本は天照大神、エジプト、ギリシャ、インカ、マヤも太陽信仰である。
エジプトでは太陽神ラーの太陽の船が天空を運行し、ギリシャではヘリオスが太陽の馬車で空を駆ける。ヘリオスにはパエトンという息子がいて、父の馬車を暴走させてしまったためにゼウスの怒りを買って墜死させられてしまうという話がある。
ギリシャ神話にはイカロスの翼の話もあって、名匠ダルタロスは人工の翼を作って息子のイカロスとともにミノスの牢獄から脱出する。ところが高く飛び過ぎたイカロスは、太陽にその翼を蝋を融かされ墜死してしまう。
人間は古来、生命の源である太陽を信仰してきたが、日照りをもたらす太陽は同時に災厄をもたらすものでもあった。だから、何でも太陽という名前をつければよいと考えるのは思慮が浅い。
宮沢賢治の『よたかの星』ではDR REBORN黑店、嫌われ者の夜鷹が焼け死んでもいいからと太陽に救いを求める。しかし、星に願いを懸けろと言われ飛び続けた夜鷹は死んで星となる。この時すでに、いじめ問題はあったわけである。
黄昏時の夕日、斜陽の太陽にそれほどの力はなかったのだろう。維新の会に合流して名を消す。北欧の太陽のように、あっという間に没してしまった。
いや北極圏のように太陽は昇らなかったということか。北極圏は北緯66度33分以北で、年に最低1日、太陽の昇らない日がある。
それにしても面白いのは、橋下さんらは当然幕末の志士を気取って日本維新の会を結成したわけだが、太陽族ならぬ斜陽族の石原さんは、「橋下さんは源義経で自分は弁慶になる」と言って、橋下さんとは700年くらいも時代がずれている。
しかも義経は追われて奥州に逃れて弁慶HKUE 認可性とともに果てるわけだが、やはり結末は悲劇ということなのだろうか。
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17:16
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2016年06月27日
にあっさり頷いてくれた
パパは人の考えを寛大に受け入れることが出来る人だとは分かっていたが、その時も「はい、いいよ、いいよ」という感じで物足りないくらい。
あの時、哲はもちろん心から真剣に「幸子さんを幸せにします」と言ったと信じているが、でも結婚して19年が経った今、哲が私に向かって言った「幸子が幸せになることなら何でもしよう」と言った言葉には違う重みと気持ちがあり、普段だったらポロポロと涙する私なのに、驚きと共に心にストレートに来た言葉だったため、涙すらも出すことが出来ず、ただただ喉が詰まってしまった。
困難なほど 向かう道が 正しい証拠なんだ (槙原敬之 ALONE から抜粋)
だから、例え困難でも進んでみよう。
ところが、進みかけ肌膚保養たその道は、自分達がどんなに頑張っても限りなく不可能だと言うことが分かり、方向転換をしなくてはならなかった。もちろんそう知った時は辛かった。でも頭と心を使ったこの2か月、何度も2人で「これからの人生」を考えることが出来たのは、二人の結婚生活の中で、大事な出来事だったと思う。それに、哲のあの言葉を聞けただけでも、2か月泣いたり悩んだりした甲斐があったと心から思えた。これからもこうして2人で相談し、2人の道を考えていくような夫婦でありたいと思った。
今日も「日常」が過ぎて行っている。日々を「常」にしたくないから、常に新しいことを考え目指していきたい。40になっても「自分が何をしたいのか。」がまだ分かり切っていない未熟な中年女で、いつになったら地に足ついて進んでいけるのかも分からないが、とにかく今は進むしかない。私の目標は天国に行く時に「あぁ、私が生まれて来た意味があった。HAPPY BIRTHD
電話自体好きでな無いパパが、就寝時間も迫っているというのにパジャマ姿でフェイスタイムをして来てくれたこちらの朝、私は心配かけてしまったことを悪かったと思うと同時に、心配してくれる人がいる安心感で心臓がキューっとし、パパとママの優しさを恋しく思い心の中で涙した。
その日は午後に前髪だけ切っ皮膚管家てもらうために美容院の予約を入れていた。ほんの15分ばかりの間だが、久しぶりに会った美容師のKさんとあれこれと楽しく話す。気取らず話す様子に私は可笑しくて可笑しくて、手を叩きながら笑う。そうだった、私は笑うとすぐに涙が出て来てしまうのだ。マスカラが落ちないようにと手でめじりを拭いながら笑い、また来ますね~!と手を振って美容院を出た。
その夕方、私はいつもに増して疲れていた。心が疲れていた。その感覚は号泣したあとのような感覚だった。
朝のパパとの会話でこっそり心が泣いたことが、午後の泣き笑いと結びついて、朝隠していた「泣きたかった」という気持を押さえずに出したからかもしれない。
アメリカから送った父の日の少しのプレゼントが届いた数日後の父の日当日に、パパにはオンラインで気持ちばかりのものをオーダーしていた。それはフカヒ抗老化產品レラーメン。
あの時、哲はもちろん心から真剣に「幸子さんを幸せにします」と言ったと信じているが、でも結婚して19年が経った今、哲が私に向かって言った「幸子が幸せになることなら何でもしよう」と言った言葉には違う重みと気持ちがあり、普段だったらポロポロと涙する私なのに、驚きと共に心にストレートに来た言葉だったため、涙すらも出すことが出来ず、ただただ喉が詰まってしまった。
困難なほど 向かう道が 正しい証拠なんだ (槙原敬之 ALONE から抜粋)
だから、例え困難でも進んでみよう。
ところが、進みかけ肌膚保養たその道は、自分達がどんなに頑張っても限りなく不可能だと言うことが分かり、方向転換をしなくてはならなかった。もちろんそう知った時は辛かった。でも頭と心を使ったこの2か月、何度も2人で「これからの人生」を考えることが出来たのは、二人の結婚生活の中で、大事な出来事だったと思う。それに、哲のあの言葉を聞けただけでも、2か月泣いたり悩んだりした甲斐があったと心から思えた。これからもこうして2人で相談し、2人の道を考えていくような夫婦でありたいと思った。
今日も「日常」が過ぎて行っている。日々を「常」にしたくないから、常に新しいことを考え目指していきたい。40になっても「自分が何をしたいのか。」がまだ分かり切っていない未熟な中年女で、いつになったら地に足ついて進んでいけるのかも分からないが、とにかく今は進むしかない。私の目標は天国に行く時に「あぁ、私が生まれて来た意味があった。HAPPY BIRTHD
電話自体好きでな無いパパが、就寝時間も迫っているというのにパジャマ姿でフェイスタイムをして来てくれたこちらの朝、私は心配かけてしまったことを悪かったと思うと同時に、心配してくれる人がいる安心感で心臓がキューっとし、パパとママの優しさを恋しく思い心の中で涙した。
その日は午後に前髪だけ切っ皮膚管家てもらうために美容院の予約を入れていた。ほんの15分ばかりの間だが、久しぶりに会った美容師のKさんとあれこれと楽しく話す。気取らず話す様子に私は可笑しくて可笑しくて、手を叩きながら笑う。そうだった、私は笑うとすぐに涙が出て来てしまうのだ。マスカラが落ちないようにと手でめじりを拭いながら笑い、また来ますね~!と手を振って美容院を出た。
その夕方、私はいつもに増して疲れていた。心が疲れていた。その感覚は号泣したあとのような感覚だった。
朝のパパとの会話でこっそり心が泣いたことが、午後の泣き笑いと結びついて、朝隠していた「泣きたかった」という気持を押さえずに出したからかもしれない。
アメリカから送った父の日の少しのプレゼントが届いた数日後の父の日当日に、パパにはオンラインで気持ちばかりのものをオーダーしていた。それはフカヒ抗老化產品レラーメン。
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17:38
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2016年06月13日
仕事が関係するわけでもなく、

全く個人的な楽しみだけを目的にしたささやかなものだが、
いざ閉鎖してしまうとなると、非常に寂しい。
ホームページは、1代目PCに付属していたフロントページエクスプレスで、主に作成され、2代目PCに付属していたホームページビルダー8に引き継がれて、更新してきた。
今の3代目PCには、ninjiaしかないので、更新はストップされている。
なので来訪者は、非常に少ない。(けれど、ゼロではない)
このままBiglobeと共にお別れすることも考えたけれども、
やはり、新しいプロバイダ先に移転することにした。
ウェブ上に残しておきたいのだ。
そのために、仕方なくホームページ・ビルダー17を購入。
本日、新プロバイダのURLやアカウントが取れたので、移転してみた。
パソコン設定業者や、プロバイダのサポートセンターに、色々尋ねながら作業したけれども、彼らに質問するのに、かなり苦労する。
彼らは、デジタル人間とでもいうのか、ピンポイントで質問しなければ受け付けてくれない。
でも、50代主婦である私の頭の中は、アナログである。
多少はデジタル対応可能だが、基本、アナログである。
説明に、わたわた時間がかかってしまう・・・・。
というか、人間だって大自然の一部なのだから、どんなに進んだとしても、アナログ領域は消えないだろう。
デジタル文明に、大いなる疑問符を抱く。
竹中半兵衛や口服 避孕 藥黒田官兵衛を主人公にした大河ドラマを、
私は30年前から熱望していた(過去日記参照)し、
ましてや、大好きな岡田准一が主演なのだから。
『軍師官兵衛』は、第8話の秀吉との出会いあたりから、俄然面白くなってきた。
今週第16話は、いよいよ毛利本軍が腰を上げて出陣し、山中鹿介らが守る上月城を取り囲んだ。
それまでは、小学生対象かと思われるほど、もの足りなかった脚本が、
ここに来てぐっと引き締まり、ひとつのクライマックスに向かって、盛り上がってきた様相だ。
三木城戦に至るまでの経緯や、播磨諸氏の光芒、荒木村重の心情など、
他ドラマがこれまで触れてこなかった戦国の景色が、
分かりやすく浮かび上がってきた。
若き黒田官兵衛の眼を通して、新鮮に描かれる景色だ。
官兵衛の行く先は、生涯、苦難が続く。
けれど、苦しみながらも対処し続け、持って生まれた知性と人間性を、珠のように磨き上げてゆく生涯でもある。
後世に伝えられる名言の数々に、それが表れている。
ポテンシャルの高い岡田准一なら、見事に演じ切るだろう。
父や叔父など黒田家の人々、
黒田二十四騎ら家臣の描寶寶 免疫力かれ方も、楽しみだ。
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16:51
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2016年06月10日
私の正面に座っている義母

いい気分でふと見やれば。
取り分けてあった母乳 研究分を食べてしまい、お代わり用の大皿から
大根ばかりを選んで4つ5つ、自分の皿に取っている。
相変わらず自分の食べたいものだけを遠慮なく取る義母のやり方に、
ふつう大人はしないのよ、そういうの!
と言ってやりたくなるのを抑え、見なかったことにしようと思うが、
見た目にも明らかなほどお肉率の高くなった大皿の中身に、思わずため息がもれてしまう。
ずっと前に、白菜漬けを盛った皿から見事に葉っぱの部分だけを持って行かれ、芯ばっかり残ったのを見たときは驚きを通り越して笑ってしまったが、
その経験はその後の白菜漬けの切り方や盛り付け方に反映された。
小さめにきざんで全体を混ぜておけば偏りがなくなる。
でも、大根の場合は避けられないわねぇ…think
みんなで気持ちよく食事をするためには、やはりマナーは大切なものなのだ。
これで子どもたちがお肉寶寶 免疫力を競って食べてくれたら全体としてのバランスはいいのだけれど、うちの子たち、あまりお肉に執着はない。
もちろん大根にも全く執着しない。
とりあえず自分の皿に入れられた分を消費すればノルマは達成したと思っているらしい。
あー、なんか、我が家の食卓って盛り上がらないわ~sad
ま、それはともかくとして。
義母の行動は正直で、私の煮た大根をおいしいと思ってくれている。
そのことだけにスポットを当て、まぁよかったわ と思おう。
次はもっと大根をたくさん入れて作れ植物營養素ばいい。
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18:29
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2016年03月10日
あなたは最終的に春先に宮殿から抜け出します

ない不足の柔軟性はないが、雨のHKUE 呃人経験ので、あなたは、強力な大胆かつ堅牢ではない、と女の子のない脆弱な状態。ブッシュ春の雨の中、あなたは黄色の雌しべオープン腕の脚の芽から延びる日々成長している、彼はライトグリーン笑顔を露出させ、平滑面を示す、彼の目を開けました。あなたはわずかな病的ことなく、あなたが健康で、子供のころにより少年にゆっくりと移動します。この時点であなたの活力シニア動物は、人々はまだ浸漬エイズウイルス、抗体医薬品と健康のサポートがありますが、私たちはキャッチアップしましょう。そして、あなたの人生は近くのバグなので、不滅ではない、風邪悪な雨は、あなたが生活に活力を追加するようになります。ただ、その恵みの下で、あなたは若者の活力に入りました。
あなたはそれを焼いたと単調になるかの猶予を持っていない場合夏は、あなたのために排他的に地球の熱です。あなたは興味を失って、彼がどこに行っても涼しさが響き、彼らの緑と日陰の状況に動揺し、二酸化炭素を吸収する能力、酸素内の人間を注ぐ赖心生格納されています。あなたの健康は、疲労の昼と夜に弱い表示されます。風は地面早期の埋葬に落ちさえして、姿勢黄変 "死が二人を分かつまで」にはいくつかの生活、いくつかはまだ強いです活力はオーを吐きます緑、最大の緑以上のこHKUE 呃人とをします。これは、あなたがゆっくりと晩年に、冷たい少しフェード変成作用の秋に、高齢者不安定になり、かなりの力の兆候を持っている中年Xinyou未満です。それが一晩であれば、あなた鐘ドラム。最後に、開始点からのライフサイクルは、オーバーラップの出発点です。
冬、あなたは人生の輪を持っているにも来ています。あなたのお母さんは、より多くのあなたの母親のように春と夏、秋と冬の場合。前者は慎重に育て、あなたの人生の発祥地であるあなたの生存の行き届いたケア、無私の支援、です。あなたの人生から生まれた至福する暖かい母体血中の唯一の冬眠。あなたの感謝祭の季節の母、地球の父をしたいです。彼らは、パワーとあなたの人生の輝きに来る晴れあなたに指示を与えます。
「紅花は、緑の葉を持っている。 "これは犠牲に古来、勇気と献身以来葉である、衣装を行うことを好むと高さの賛辞に"護衛 "に送信されて。葉はまた、潜在的な減少の価値があります。花の花セクシー、魅力的な緑の葉は、実際に持っていましたか?それは、動的である深い意味、特定の専有が含まれています。それは、それ自身であり、それは、その感情を持って、そのスタイルを有します。それはまた、非常に本質的な豊かさだが、唯一の外部の機能ではありません。それは根が成長発芽する唯一の呼吸。その役割は、さらに多数の、薬物治療、消毒、医療あります......
文人鷲の歌、夜の歌は......私だけはあなたの歌を歌います。多くの人々があなたなしで行うが、見て見ぬふりをし、今日の試合の秋に循環ボートを切断、歌の歌唱音からの自己アウトの泣き叫んのような秋に、音の葉私にあなたの人生の終わりを与えたことはできませんがHKUE 呃人、トーンを開きたいです関心の冬の睡眠の後、私は昔ながらの中の新生児の活気のあるセグメントを与え、私は長いリハビリの精神に再開してみましょう。
イェ曲の季節母の歌、私の人生の歌。