2016年08月31日

1週間だけなんだそうだ

まあ世の中、このように短いチャンスしかないというものはたくさんあって、杏(アンズ)の果実が出回るのも7月初旬。
 天が我に味方してくれたのかどうかはわからないが、たまたまよく行く八百屋で杏を見つけた。東京近辺では長野県が杏の産地だそうで、早速JAちくまの杏を買って帰った。もちろんジャムにするためである。

 杏はヒマラヤ西部から中央アジアにかけてが原産だそうだ。バラ科サクラ属で品種もいろいろあるらしいが、食用としてはジャムが一般的である。
 試しに生で食べてみたが、酸っぱくてぼそぼそしていてそれほど旨くない。ジャムにすると旨さが引き立つ果実なわけだ。

 種は杏仁(キョウニン)と呼ばれ、咳止めなどの漢方薬になるそうだが、堅くて割れない。ジャムを作る前に無理して怪我でもしたらバカみたいなので、割るのは諦めた。
 杏仁といえば中華デザートの杏仁豆腐(アンニンドウフ)を思い浮かべるが、杏をアンと読むのは唐音、キョウは呉音。

 漢方薬には苦味のある苦杏仁(クキョウニン)、杏仁豆腐には甘みのある甜杏仁(テンキョウニン)を使うそうだが、これらが杏の品種の違いかどうかは知らない。
 杏仁豆腐は本来はこの甜杏仁を使うが、普及品には香りの似ているアーモンドエッセンスが使われる。

1207anzu1.jpg さて杏ジャムだが、実は1週間に2回作ってみた。
 杏は種も取りやすく街貨、煮るだけなのでジャム作りとしては比較的簡単である。市販ジャムもあるが、やはり手作りの方が酸味があって果物本来の味がして美味しい。

 1回目に弱火で煮たところ、煮崩れた上に水分が残った。杏は水分が多い。
 それで2回目は中火~弱火で煮て形を崩さないようにして水分を飛ばしたのだが、ちょっと目を離している間に煮詰めすぎてしまった。
 写真を見ればわかるように、色の薄いのが1回目、濃いのが2回目である。

 個人的には1回目卓悅冒牌貨方が香りがあって美味しいが、子どもは酸味が足りなく、むしろ煮詰まった2回目の方が酸味があって良いという。
 そういえば、2回目に作った杏ジャムは、神社の縁日に並ぶ夜店の杏ジャムのように味が濃厚。もちろん手作りの方は添加物・着色料なしである。

 好みは人それぞれだが、次回晚霜のは1回目と2回目の中間くらいで作りたいと思うのだが、チャンスは短く、再チャレンジは来年ということになる。  


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2016年08月20日

書いておかなければ忘れそうだ

しっかり細かい描写のある、鮮明な夢。
にもかかわらず、なにが言いたかったのだろう、あの夢。

幼児がいた。
面長、色白、おとな美麗華投訴しい賢そうな男の子。(わたしの孫とは顔のタイプが全然違う)
彼の自宅。部屋の中に案内された。
明るい清潔な、白っぽいカラーの、きちんとした部屋。
ご両親は、働いていて留守。

彼はいろいろ見せてくれる。
いま、やっているお勉強のようなもの。幼児知育のプログラム。
へえ~。ご両親、とりわけ、お母さんは教育熱心なのね、と、その時のわたしの感想。
「ママは、こんなこともしてるんだよ」
みたいに、あれこれ、家族の生活様式や、思考ポリシーや嗜好が垣間見えるものを次々と見せてくれる。

あらあら、そんなに見せてくれたら、プライバシー侵害って、ママは怒るかも知れないなあ、と、
わたしは思いながらも、ふむふむ、けっこうしっかり暮らしておられると感心した。

じつは、ここに引っ越してくるのに、別の候補の家があったんだけど、そっちはやめて、この家にしたんだ。
そういう流れもわかった。
途中、バスに乗って移動しているシーンもあった。
向こうより今、選んだ住まいのほうが、きめ細かい教育の取り組みが提供されるのが気に入ったようだ。
教育システムが整っている環境。

他の部屋もあれこれ案内してくれる男の子。
あらまあ、外から見えるだけでは想像もつかないぐらい、随所に工夫を凝らされた素晴らしいお宅。
進んでいけば、どんどん広い空間が続く。
開口部に広がる、目に飛び込むグリーンも美々しい。

そこで、なにかの人の助美麗華投訴けが必要なことがあり、わたしは応援を呼んだ。
応援してくれる人(わたしの身内、関係者たち)の尽力もあり、無事クリアー。
が、家の中をあちこち開けたり触ったりした形跡のまま、ママが帰宅することになった。
助けてあげた状態になっているものの、人の家をほじくって、ママは嫌がるだろうなあ。
助ける時は精いっぱいだったので考えなかったが、そういう懸念を抱いた。

助けてあげるにあたって、自分の纏っているものを1枚1枚はがしていくかのように、
1ページ1ページ、過去のページをめくっていった。
表には最終ページが一枚見えるだけだが、中には、いろんなページが繰り広げられ重なっていた。
意外に、その男の子の家よりも、奥が深い自分の歩んできた家。
そこにはいろんな人物が登場し、力を発揮していた。
人の役に立とうとして、予想しない展開から自分のことに触れることになり、感慨深げだった。
が、そこに、ママが帰ってきた。

いくら小さな子供のためといっても、人のプライバシーをほじくるようなことはやめてください、
そう言われるだろうと、こころ準備していた。
ほじくろうとしてそうなったのではなく、結果的にそうなっただけだ。
しかも、プライバシーを深く確認したのは、自分側の事柄である。

気が付くと、男の子のそばに、もう一人、1歳ぐらいの乳幼児が寝息を立てて寝ていた。
あれ?一人じゃなかったの美麗華領隊?と今さらながら、遅いかと思いつつも、そっとタオルケットをかけた  


Posted by kanyantwee at 03:12Comments(0)

2016年08月05日

想像上の事柄などを現実に行う

つまり、晴海通りを両側から潜るようになっている地下道で、しかも地下道の両側には映画館や飲み屋などの飲食店が並んでいる。
 この地下道は三原橋地下街と呼ばれていて、昭和27年に作られた銀座で最古の地下商店街。銀座シネパトスはこの地下街にある映画館で、現在はシネパトス1~3まで3館ある。
 銀座シネパトスで映画を見ることはほとんどなかったが、ロバート・デ・ニーロ主演の『ザ・ファン』(1996)を確かここで観た。
 ​熱​狂​的​な​大​リ​ー​グ​フ​ァ​ン​が​主​人​公​の​話​で​、​ファンはfan、つまり熱狂的支持者のこと。ロバート・デ・ニーロ演ずる主人公は、かなり度を越したサンフランシスコ・ジャイアンツのファンで、贔屓の引き倒しを地で行く。
 さて、いきなり慣用句を二つも使ってしまった。
贔屓の引き倒し・・・ひいきし過ぎて、かえってその人の迷惑になること。
地で行く・・・①飾らずにありのまま振る舞う。
 ここでは、後者の用法。

 カリフォルニアの街やハ​イ​ウ​ェ​イ​、​​海​岸​、ラ​ジ​オ​局​、そして​音​楽​にも​西​海​岸​の​陽​気​な​雰​囲​気​が​充満し、主​人​公​も​野​球​帽​を​被​っ​た​陽​気な​男掉頭髮原因だ​が​、​この街の過ぎた陽気がいけないのか、脳​味​噌​まで炎​天​に​​や​ら​れ​て​し​ま​っ​て​い​る​。
 冒頭からすでにオーバーヒート気味の主人公は、仕事やプライベートのストレスによって、沸騰してしまう。つまり脳味噌がイッちゃうのだが、どんどんイッちゃう。際限なくイッちゃう。そのイッちゃう主人公をデ・ニーロが好演というか怪演していて、それだけでも見ごたえがあった。
 銀座シネパトスでこの映画を見た時、ちょっとした違和感があった。
 というのは、私がまだ若かった頃、この映画館は確かピンク映画の上映館だったからだ。
 銀座シネパトスのホームページを見ると、昭和27年に三原橋地下街ができた当初、ニュース映画専門館テアトルニュースがまず開館し、遅れて2年後の昭和29年に銀座東映がオープンしたそうだ。
 昭和42年になるとテアトルニュースは銀座地球座に、翌43年には銀座東映が銀座名画座に衣替えし、洋画と邦画のピンク映画を上映するようになる。
 若い頃、週末に銀座・新橋あたりで終電を逃した時に、この映画館を利用した。
 当時、銀座のロードショー館がオールナイト上映をすることはなく、この2館くらいしかなかった。他に24時間営業の店は今のイトシアの一画にあった純喫茶マイアミくらいで、深夜割増料金を取ったので、暗くて椅子のゆったりしている映画館の方がむしろ安上がりで寝易かった。
 しかし、問題があった。上映されているのはピンク映画である。
 目を閉じれば暗闇は訪引伸波幅れるが、スクリーンから聴こえてくる声は遮断できない・・・  


Posted by kanyantwee at 16:37Comments(0)