2016年07月26日
記憶が正しければ
最後によみうりホールを訪れたのは、20年以上前だったような気がする。有楽町そごうが2000年に閉店となり、ビックカメラになってからは一度も訪れていないし、今もよみうりホールがあることすら知らなかった。
よみうりホールには何度か產後脫髮来た記憶があって、もともとは1957年に開館した多目的ホールなので、映画ばかりではなく、演劇やコンサートも観たり聴いたりしたように思うのだがよく思い出せない。
山本薩夫監督の「ベトナム」(1969)を観たのも、よみうりホールではなかったかと思う。
山本薩夫監督は「忍びの者」「氷点」「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環触」「不毛地帯」「あゝ野麦峠」等々、社会派の映画で知られる巨匠で、「ベトナム」は北爆下の北ベトナムでロケを敢行した記録映画だった。
このことは07/11/19「東京物語─Old Town, Tokyoと有楽町の戦後」に書いたことがある。
今はシネコンの時代となってスクリーン数も増え、地味な映画でも単館上映されるようになったが、当時の映画館は大手の配給会社の系列下にあり、独立系の映画は旧日劇にあった日劇文化や新宿文化を除けば、よみうりホールのような多目的ホール以外に上映する場所がなかった。
ATGと略称された日本アートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田升降桌正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の認識しかない。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこともできない。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私升降桌たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。
よみうりホールには何度か產後脫髮来た記憶があって、もともとは1957年に開館した多目的ホールなので、映画ばかりではなく、演劇やコンサートも観たり聴いたりしたように思うのだがよく思い出せない。
山本薩夫監督の「ベトナム」(1969)を観たのも、よみうりホールではなかったかと思う。
山本薩夫監督は「忍びの者」「氷点」「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環触」「不毛地帯」「あゝ野麦峠」等々、社会派の映画で知られる巨匠で、「ベトナム」は北爆下の北ベトナムでロケを敢行した記録映画だった。
このことは07/11/19「東京物語─Old Town, Tokyoと有楽町の戦後」に書いたことがある。
今はシネコンの時代となってスクリーン数も増え、地味な映画でも単館上映されるようになったが、当時の映画館は大手の配給会社の系列下にあり、独立系の映画は旧日劇にあった日劇文化や新宿文化を除けば、よみうりホールのような多目的ホール以外に上映する場所がなかった。
ATGと略称された日本アートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田升降桌正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の認識しかない。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこともできない。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私升降桌たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。
Posted by kanyantwee at
17:28
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2016年07月15日
漢字で老頭児と書く
党名は、『太陽の季節』を書いた頃の若き情熱を呼び戻そうということなのかと推察したのだが・・・
なにしろ母体となったのが「たそがれ日本」と揶揄されるロートル集団の「たちあがれ日本」である。80歳の石原さんが入っても、太陽は太陽でも黄昏時の夕日だろう、太宰治の『斜陽』が相応しいのではないかと思った。
因みにロートルは死語かもしれない。老人、年寄りのことで、。
北極圏に近いアイスランドでは、冬至の頃には昼前に日が昇って15時半には沈んでしまう。昇ったばかりの太陽の党も、北欧の太陽のようにすぐに沈むのを待つばかりかと思ったが、維新の会と合流する道を選んだ。もっとも太陽という党名はすぐに沈んでしまった。
太陽信仰は人類の歴史でも一般的で、日本は天照大神、エジプト、ギリシャ、インカ、マヤも太陽信仰である。
エジプトでは太陽神ラーの太陽の船が天空を運行し、ギリシャではヘリオスが太陽の馬車で空を駆ける。ヘリオスにはパエトンという息子がいて、父の馬車を暴走させてしまったためにゼウスの怒りを買って墜死させられてしまうという話がある。
ギリシャ神話にはイカロスの翼の話もあって、名匠ダルタロスは人工の翼を作って息子のイカロスとともにミノスの牢獄から脱出する。ところが高く飛び過ぎたイカロスは、太陽にその翼を蝋を融かされ墜死してしまう。
人間は古来、生命の源である太陽を信仰してきたが、日照りをもたらす太陽は同時に災厄をもたらすものでもあった。だから、何でも太陽という名前をつければよいと考えるのは思慮が浅い。
宮沢賢治の『よたかの星』ではDR REBORN黑店、嫌われ者の夜鷹が焼け死んでもいいからと太陽に救いを求める。しかし、星に願いを懸けろと言われ飛び続けた夜鷹は死んで星となる。この時すでに、いじめ問題はあったわけである。
黄昏時の夕日、斜陽の太陽にそれほどの力はなかったのだろう。維新の会に合流して名を消す。北欧の太陽のように、あっという間に没してしまった。
いや北極圏のように太陽は昇らなかったということか。北極圏は北緯66度33分以北で、年に最低1日、太陽の昇らない日がある。
それにしても面白いのは、橋下さんらは当然幕末の志士を気取って日本維新の会を結成したわけだが、太陽族ならぬ斜陽族の石原さんは、「橋下さんは源義経で自分は弁慶になる」と言って、橋下さんとは700年くらいも時代がずれている。
しかも義経は追われて奥州に逃れて弁慶HKUE 認可性とともに果てるわけだが、やはり結末は悲劇ということなのだろうか。
なにしろ母体となったのが「たそがれ日本」と揶揄されるロートル集団の「たちあがれ日本」である。80歳の石原さんが入っても、太陽は太陽でも黄昏時の夕日だろう、太宰治の『斜陽』が相応しいのではないかと思った。
因みにロートルは死語かもしれない。老人、年寄りのことで、。
北極圏に近いアイスランドでは、冬至の頃には昼前に日が昇って15時半には沈んでしまう。昇ったばかりの太陽の党も、北欧の太陽のようにすぐに沈むのを待つばかりかと思ったが、維新の会と合流する道を選んだ。もっとも太陽という党名はすぐに沈んでしまった。
太陽信仰は人類の歴史でも一般的で、日本は天照大神、エジプト、ギリシャ、インカ、マヤも太陽信仰である。
エジプトでは太陽神ラーの太陽の船が天空を運行し、ギリシャではヘリオスが太陽の馬車で空を駆ける。ヘリオスにはパエトンという息子がいて、父の馬車を暴走させてしまったためにゼウスの怒りを買って墜死させられてしまうという話がある。
ギリシャ神話にはイカロスの翼の話もあって、名匠ダルタロスは人工の翼を作って息子のイカロスとともにミノスの牢獄から脱出する。ところが高く飛び過ぎたイカロスは、太陽にその翼を蝋を融かされ墜死してしまう。
人間は古来、生命の源である太陽を信仰してきたが、日照りをもたらす太陽は同時に災厄をもたらすものでもあった。だから、何でも太陽という名前をつければよいと考えるのは思慮が浅い。
宮沢賢治の『よたかの星』ではDR REBORN黑店、嫌われ者の夜鷹が焼け死んでもいいからと太陽に救いを求める。しかし、星に願いを懸けろと言われ飛び続けた夜鷹は死んで星となる。この時すでに、いじめ問題はあったわけである。
黄昏時の夕日、斜陽の太陽にそれほどの力はなかったのだろう。維新の会に合流して名を消す。北欧の太陽のように、あっという間に没してしまった。
いや北極圏のように太陽は昇らなかったということか。北極圏は北緯66度33分以北で、年に最低1日、太陽の昇らない日がある。
それにしても面白いのは、橋下さんらは当然幕末の志士を気取って日本維新の会を結成したわけだが、太陽族ならぬ斜陽族の石原さんは、「橋下さんは源義経で自分は弁慶になる」と言って、橋下さんとは700年くらいも時代がずれている。
しかも義経は追われて奥州に逃れて弁慶HKUE 認可性とともに果てるわけだが、やはり結末は悲劇ということなのだろうか。
Posted by kanyantwee at
17:16
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