2016年06月27日

にあっさり頷いてくれた

パパは人の考えを寛大に受け入れることが出来る人だとは分かっていたが、その時も「はい、いいよ、いいよ」という感じで物足りないくらい。

あの時、哲はもちろん心から真剣に「幸子さんを幸せにします」と言ったと信じているが、でも結婚して19年が経った今、哲が私に向かって言った「幸子が幸せになることなら何でもしよう」と言った言葉には違う重みと気持ちがあり、普段だったらポロポロと涙する私なのに、驚きと共に心にストレートに来た言葉だったため、涙すらも出すことが出来ず、ただただ喉が詰まってしまった。

困難なほど 向かう道が 正しい証拠なんだ (槙原敬之 ALONE から抜粋)

だから、例え困難でも進んでみよう。

ところが、進みかけ肌膚保養たその道は、自分達がどんなに頑張っても限りなく不可能だと言うことが分かり、方向転換をしなくてはならなかった。もちろんそう知った時は辛かった。でも頭と心を使ったこの2か月、何度も2人で「これからの人生」を考えることが出来たのは、二人の結婚生活の中で、大事な出来事だったと思う。それに、哲のあの言葉を聞けただけでも、2か月泣いたり悩んだりした甲斐があったと心から思えた。これからもこうして2人で相談し、2人の道を考えていくような夫婦でありたいと思った。

今日も「日常」が過ぎて行っている。日々を「常」にしたくないから、常に新しいことを考え目指していきたい。40になっても「自分が何をしたいのか。」がまだ分かり切っていない未熟な中年女で、いつになったら地に足ついて進んでいけるのかも分からないが、とにかく今は進むしかない。私の目標は天国に行く時に「あぁ、私が生まれて来た意味があった。HAPPY BIRTHD

電話自体好きでな無いパパが、就寝時間も迫っているというのにパジャマ姿でフェイスタイムをして来てくれたこちらの朝、私は心配かけてしまったことを悪かったと思うと同時に、心配してくれる人がいる安心感で心臓がキューっとし、パパとママの優しさを恋しく思い心の中で涙した。

その日は午後に前髪だけ切っ皮膚管家てもらうために美容院の予約を入れていた。ほんの15分ばかりの間だが、久しぶりに会った美容師のKさんとあれこれと楽しく話す。気取らず話す様子に私は可笑しくて可笑しくて、手を叩きながら笑う。そうだった、私は笑うとすぐに涙が出て来てしまうのだ。マスカラが落ちないようにと手でめじりを拭いながら笑い、また来ますね~!と手を振って美容院を出た。

その夕方、私はいつもに増して疲れていた。心が疲れていた。その感覚は号泣したあとのような感覚だった。

朝のパパとの会話でこっそり心が泣いたことが、午後の泣き笑いと結びついて、朝隠していた「泣きたかった」という気持を押さえずに出したからかもしれない。

アメリカから送った父の日の少しのプレゼントが届いた数日後の父の日当日に、パパにはオンラインで気持ちばかりのものをオーダーしていた。それはフカヒ抗老化產品レラーメン。
  


Posted by kanyantwee at 17:38Comments(0)